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東京での一人暮らしを始める若者たちに・・・

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★東京での一人暮らし、おめでとう。


はじめに・・・このウェブサイトを訪れていただいたみなさまに感謝します。
アグレッシブな街「東京」での一人暮らしを予定されている方、既に暮らし始めている方に、ドラマチックな街「東京」の情報をカレンダー形式でお届けします。
将来そのままクライマックスな街「東京」に住み続ける方もいれば、地方に帰る方もいらっしゃると思いますが、どうぞ今のファンキーな街「東京」をこの機会に満喫してください。
高校を卒業して専門学校・短大に入学された方は2年間。
大学に入学された方は4年間。
勉強と共にエキサイティングな街「東京」を知りつくし良い思い出を作ってください。
社会人として上京された方は、出身地から親御さんが訪れた時に東京案内に役に立つかもしれません。
どちらにしてもデンジャラスな街「東京」を365日楽しんで生活してください。

1月2日 - 皇居の「一般参賀」


今日、お休みの人は「一般参賀」に出かけてみましょう。
新年一般参賀は、1月2日皇居で次のとおり行われます。
天皇皇后両陛下が、おおむね5回長和殿ベランダにお出ましになる予定です。
そのうち、2回目までは皇太子同妃両殿下始めお出ましになれる成年の皇族方が、3回目以降は皇太子同妃両殿下、秋篠宮同妃両殿下及び眞子内親王殿下が、ご一緒にお出ましになる予定です。
参賀者は、午前9時30分から午後2時10分までに、皇居正門の二重橋から参入し、宮殿東庭の参賀会場を経て、坂下門、桔梗門又は乾門から退出することとなります。
なお、お出ましは、午前10時10分頃、同11時頃、同11時50分頃、午後1時30分頃、同2時20分頃の5回が予定されております。

■住所
千代田区千代田1-1
■交通
JR「東京」駅
東京メトロ「二重橋前」「大手町」「竹橋」駅

毎月4・14・24日 - 巣鴨地蔵通り商店街の「縁日」


今日、お休みの人は「縁日」に出かけてみましょう。
「おばあちゃんの原宿」と呼ばれる巣鴨地蔵通りは旧中山道であり、江戸の中期から現在にいたるまで商業や信仰の場として栄えてきました。
巣鴨地蔵通りは江戸時代に中山道の出発地点の日本橋から最初の休憩所が江戸六地蔵尊眞性寺から巣鴨庚申塚の間に点在して町並みが作られました。
そして明治24年には、とげぬき地蔵尊高岩寺が上野から巣鴨へと移転し、現在巣鴨地蔵通りは「とげぬき地蔵尊」と「江戸六地蔵尊」の2つのお地蔵様と巣鴨庚申塚に守られて、商業の街・信仰の街としてお年寄りを中心に若い方々にも親しまれています。
毎月4・14・24日は縁日も開かれ一層賑やかさを増しています。

■住所
豊島区巣鴨3丁目〜4丁目
■交通
JR「巣鴨」「大塚」駅
東京メトロ「巣鴨」駅
都電「庚申塚」駅

1月7日 - 本龍院の「大根まつり」


今日、お休みの人は「大根まつり」に出かけてみましょう。
本龍院は、東京都台東区浅草にある聖観音宗の寺院で、浅草寺の子院のひとつです。
山号は待乳山。
本尊は歓喜天・十一面観音で、待乳山聖天とも称されます。
この寺には浅草名所七福神のうち毘沙門天が祀られています。
この寺は隅田川べりの小高い丘にありますが、この丘は595年9月に出現して龍が守護したと伝えられ、浅草寺の山号「金龍山」の由来となったと伝えられています。
601年この地方が旱魃に見舞われたとき、歓喜天と十一面観音が安置されたと伝えられています。
待乳山は、かつては周囲が見渡せる山であり、江戸時代には文人墨客がこの地を訪れています。
例年1月7日に行われる「大根まつり」でも知られています。

■住所
台東区浅草7-4-1
■交通
東京メトロ「浅草」駅
都営地下鉄「浅草」駅
東武伊勢崎線「浅草」駅

1月8日 - 鳥越神社の「とんど焼」


今日、お休みの人は「とんど焼」に出かけてみましょう。
暮れから各家庭にお正月様を迎える準備をすすめ、家ごとに門松を立て〆飾り・輪飾りなどで家中を清め、更に神棚を清めて正月様のお出をお待ちして、正月の種々の行事を、七種粥のお祝いとともにとどこおりなく済ませて、最後にお正月飾りを取り払う習わしになって居ります。
地方に依り異なって、十五日の小正月が済んでからおこなわれる処もありますが、鳥越神社では江戸の風習に順って、この七草あけの八日に〆飾り・古いお札等を焼く、とんど焼の走りをするわけです。
とんど焼とは宮中に於いても平安の昔からおこなわれていて、民間ではこの神様に関係のある尊いものを焼くという意味でトホド焼と言われていましたが、その焼くときの囃子言葉に「トンドヤ」と囃したりすることや、又火の燃える様や音がドンドと燃えると言う事から因んで、どんど焼とも言われるのです。
この火に書初めの清書を燃やして高くあがれば字が上手になるとか、この火で餅を焼いて食べる事が一年中疫除の呪になるとされています。
要するにこの火に依ってお正月様をお送りするという事と、その一年中無病息災をお祈りするという新春のめでたい行事であります。

■住所
台東区鳥越2丁目
■交通
JR「浅草橋駅」駅
都営地下鉄「浅草橋」駅

1月11〜13日 - 神田明神の「だいこく祭り」


今日、お休みの人は「だいこく祭り」に出かけてみましょう。
江戸東京に鎮座して1300年近くの歴史をもつ神田明神。
江戸時代には、「江戸総鎮守」として将軍様から江戸庶民にいたるまで江戸のすべてを守護されました。
そして今もなお、神田・日本橋・秋葉原・大手町・丸の内など108の町々の総氏神様として、江戸の素晴らしき伝統文化を保ちつつ、それでいて絶え間なく発展と創造を繰り返す、この東京都心をお守りいただいております。
神田明神の氏子町である東京108の町は、江戸と東京の生活や文化が凝縮された町々です。
●神田 - 元祖下町で江戸っ子たちの血を受け継ぐ町々
●日本橋 - 老舗が集まる江戸の衣食住の文化を伝える町々
●秋葉原 - 世界が注目する最先端のITの宝庫でサブカルチャーの町々
●大手町・丸の内 - 日本を代表する大企業がひしめくビジネスマンの町々
●大田市場 - 築地魚河岸市場という江戸東京人の食を支える続ける市場
等々
伝統と創造を併せ持つ、これらの町々を常に見守り続ける明神様。
そんな明神様を慕い敬う参拝者で、境内は毎日賑わいを見せております。
そして1月11〜13日は神田明神のご祭神・だいこく様により福がもたらされる「だいこく祭り」が開催されます。

■住所
千代田区外神田2-16-2
■交通
JR「御茶ノ水」「秋葉原」駅
東京メトロ「新御茶ノ水」駅

1月12日 - 青梅市内の「青梅だるま市」


今日、お休みの人は「青梅だるま市」に出かけてみましょう。
青梅だるま市の起源は、文禄5年頃に始まった六斎市とも、嘉吉元年頃に開かれた市とも云われています。
青梅の市は、産業の中心であった養蚕の繁栄を祈り「まゆ玉」を笹の枝にいくつもつけたものが売られていましたが、約180年前から縁起物として「だるま」も売られるようになりました。
戦後、化学繊維の台頭に青梅の地場産業は衰退し、昭和20年代の終わり頃には青梅の市から「まゆ玉」は姿を消してしまいましたが、替わって年のはじめ12日には「青梅のだるま市」として青梅はもとより、遠方から縁起物の「だるま」を買い求める人々で賑わうようになりました。
会場は旧青梅街道の住江町交差点~市民会館前交差点で行われます。

■交通
JR「青梅」駅

1月24〜25日 - 亀戸天神社の「うそ替え神事」


今日、お休みの人は「うそ替え神事」に出かけてみましょう。
菅原道真公をお祀りする当社は下町の天神さまとして広く知れわたり、多くの方々に親しまれております。
古くはご本社にあたります九州太宰府天満宮に対して東の宰府として「東宰府天満宮」、あるいは「亀戸宰府天満宮」と称されておりましたが、明治6年に東京府社となってより亀戸神社と号し、昭和11年に現在の亀戸天神社と正称いたしました。
正保三年九州太宰府天満宮の神官でありました菅原大鳥居信祐公は神のお告げにより、公ゆかりの飛び梅の枝で天神像を刻み、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもって、遠くは日光または盛岡などの諸国を巡り歩かれ 、そして江戸の本所亀戸村にたどり着かれ、村に元々ありました天神の小さなほこらにご神像をお祀りいたしました。
当時徳川幕府は、本所の町を江戸の大半を焼き尽くした明暦大火の被害による復興開発事業の土地とさだめ、天神様を篤く信仰していた四代将軍家綱公はその鎮守の神様としてお祀りするように現在の社地を寄進されました。
そして、寛文二年10月25日に太宰府の社にならい、社殿・回廊・心字池・太鼓橋などを営み、以来約350年後の今日まで東国天満宮の宗社として崇敬されてまいりました。
「うそ」は幸運を招く鳥とされ、毎年新しいうそ鳥に替えるとこれまでの悪い事が「うそ」になり一年の吉兆を招き開運・出世・幸運を得ることができると信仰されてきました。
江戸時代には、多くの人が集まりうそ鳥を交換する習わしがありましたが、現在は神社にお納めし新しいうそ鳥と取替えるようになり、1月24・25日両日は多くのうそ替えの参拝者で賑わいます。
うそ鳥は日本海沿岸に生息するスズメ科の鳥で、太宰府天満宮のお祭りの時、害虫を駆除したことで天神様とご縁があります。
また、鷽の字が學の字に似てることから、学問の神様である天神様とのつながりが深いと考えられています。
亀戸天神社の「うそ鳥」は檜で神職の手で一体一体心を込めて作られ、この日にしか手に入らない貴重な開運のお守りとしてとても人気があります。

■住所
江東区亀戸3-6-1
■交通
JR「亀戸」「錦糸町」駅
東京メトロ「錦糸町」駅

5月5日 - 大國魂神社の「くらやみ祭り」


今日、お休みの人は「くらやみ祭り」に出かけてみましょう。
都内でも屈指の古社で、今から約1890年前の景行天皇の時代に、武蔵国の鎮守として大國魂大神を祀ったのが始めとされています。
大化の改新の後、この地に国府が開設されると、武蔵国の総社となって国内の著名な六所の宮を合祀したので、六所宮と称されるようになりました。
八基の華麗な神輿と日本一の大太鼓が繰り出す例大祭の5月5日は「くらやみ祭り」とも呼ばれ、毎年多くの人でにぎわいます。

■住所
府中市宮町3-1
■交通
JR「府中」駅
京王線「府中」駅

5月17〜19日 - 浅草神社の「三社祭」


今日、お休みの人は「三社祭」に出かけてみましょう。
漁師の桧前浜成・竹成兄弟が隅田川で漁労に精を出していましたが、その日に限り一匹の漁もなく網にかかるのはただ人型の像だけでした。
幾度か像を水中に投げ捨て、何度場所を変えて網を打ってもかかるのは不思議と人型の像だけなので、最後には兄弟も不思議に思ってその尊像を捧持して今の駒形から上陸し、槐の切り株に安置しました。
そして当時、郷土の文化人であった土師真中知にこの日の出来事を語り一見を請うたところ、土師氏は、これぞ聖観世音菩薩の尊像にして自らも帰依の念心仏体であることを兄弟に告げ、諄々と功徳、お働きにつき説明しました。
兄弟は初めて聞く観音の現世利益仏であることを知り、信心をもよおされた二人は深く観音を念じ名号を唱え、「我らは漁師なれば、漁労なくしてはその日の生活にも困る者ゆえ、明日はよろしく大漁を得させしめ給え。」と厚く祈念しました。
翌日に再び網を浦々に打てば、願いのごとく大漁を得ることができました。
土師真中知は間もなく剃髪して僧となり、自宅を改めて寺となし、さきの観音像を奉安して供養護持のかたわら郷民の教化に生涯を捧げたといいます。
いわゆるこれが浅草寺の起源です。
土師真中知の没した後、間もなくその嫡子が観世音の夢告を受け、三社権現と称し上記三人を神として祀ったのが三社権現社、今の浅草神社の始まりであるとされています。
これによると創建は今を去る千三百五十年程の昔ということになりますが、これは少々無理のようで、平安の末期から鎌倉にかけて権現思想が流行しだした以後、三氏の末裔が崇祖のあまり浅草発展の功労に寄与した郷土神として祀ったものであろうと推定されます。
奇しくも明治維新の神仏分離令により浅草寺との袂を分かち、明治元年に三社明神社と改められ、同6年に現在の名称に至ります。
今もなお、「三社さま」として親しまれている浅草神社ですが、元来三人の神様をお祀りしたことからそのように呼ばれています。
ここで5月の第3日曜を最終とする3日間行われるのが三社祭です。
浅草神社例大祭のことで、東京を代表する祭りのひとつ。
昔は3月17・18日の両日に行われ、丑、卯、巳、未、酉、亥の1年おきに本祭が行われました。
正和元年から三社の神話に基づき船祭が始められたといわれています。
期間中には約200万人の人が浅草を訪れます。
江戸時代には大祭前夜、神輿を観音本堂の外陣に安置されました。

■住所
台東区浅草2-3-1
■交通
東京メトロ「浅草」駅
都営地下鉄「浅草」駅
東武線「浅草」駅
つくばエクスプレス「浅草」駅

12月22日〜2月3日 - 穴八幡宮の「一陽来復御守頒布」


今日、お休みの人は「一陽来復御守頒布」に出かけてみましょう。
康平5年に源義家が氏神八幡宮を勧請したことにはじまり、寛永13年には幕府の御持弓組頭松平直次がこの地に的場を築き射芸の守護神として八幡宮をお祀りしました。
のちに宮守の庵を造るために南側の山裾を切り開いたところ神穴が出現し、穴八幡宮と呼ばれるようになりました。
江戸時代から続く「一陽来復御守」は金銀融通の御守として現在でも広く崇敬を集めており、毎年「冬至」から「節分」までの期間のみ頒布されています。

■住所
新宿区西早稲田2-1-11
■交通
東京メトロ「早稲田」駅

12月22日〜2月3日 - 放生寺の「一陽来福授与」


今日、お休みの人は「一陽来福授与」に出かけてみましょう。
放生寺は寛永十八年、威盛院権大僧都良昌上人が高田八幡・穴八幡の造営に尽力され、その別当寺として開創されたお寺です。
ご本尊の聖観世音菩薩は南海の補陀楽浄土におられる菩薩様で、そのお名前の示すとおり世の人々の声を聞き、その苦しみや悩みを救い悪事災難を除くことを御誓願とされている慈悲深い仏様で御座います。
観音経に由ると我々が災難に遭ったとき観音様を一心に念ずると自由自在にお姿を変えてお救い下さることから観自在菩薩とも云います。
そのお姿が三十三身あるとされ観音霊場が三十三の札所となった起こりともなっております。
放生寺のご本尊は古くより融通虫封じ観世音として称され親しまれて参りました。
融通とは滞り無く通じることを意味します。
冬至より授与いたしております「一陽来福」も「ゆうずうさん」と呼ばれ多くの方に親しまれております。
虫封じは起源は定かではありませんが江戸の時代より夜泣きや疳の虫の祈祷霊験あらたかな寺として多数の老若男女の参詣があり今日にいたって居ります。
當山で毎年多数の信徒に授与して居ります一陽来福のお札は、江戸天保年間より當山に伝わる秘法を厳修し一部の信徒に授与したのが始まりです。
その後時代の変遷により今日の様に多数の信徒に授与するようになりました。
そもそも、一陽来福は冬至を表す言葉「一陽来復」=「陰極まって一陽が生ずる」という言葉に「来る」年も授与された方たち全てに沢山の「福」が来る様に、當山ご本尊を拝むときに唱えます。
観音経の結びの「福聚海無量」=「福聚むること海の如く無量なり」という偈文より「福」の字を取り「一陽来福」と名付けられました。
當山本尊は古来より融通・虫封観世音と呼ばれ多数の信徒を集め現在に至っております。
中でも融通は滞りなく通じるということでご商売をされている方は基より、近年では人間関係を願う方も多く居られます。
一家の居間若しくは、ご商売先の部屋に毎年定められた恵方に向けて冬至、大晦日、節分の何れかの深夜0時にお札を貼ります。

■住所
新宿区西早稲田2-1-14
■交通
東京メトロ「早稲田」駅

12月31日〜1月1日 - 明治神宮の「初詣」


今日、お休みの人は「初詣」に出かけてみましょう。
明治神宮は明治天皇と昭憲皇太后をお祀りする神社で、清らかで森厳な内苑を中心に、聖徳記念絵画館を始め数多くの優れたスポーツ施設を持つ外苑と、結婚式とセレモニー・パーティー会場の明治記念館とからなっています。
初詣は例年日本一の参拝者数を集める神社としても知られます。
そのほか、大相撲横綱土俵入りや、こどもの祭まで幅広い祭典と行事・厄祓い・祈願をとりおこなっております。
加藤清正が掘ったと言われる清正井や明治天皇のおぼしめしにより昭憲皇太后のために植えられた美しい花菖蒲など、多くの見どころがあります。
女性の前厄は18歳、本厄は19歳、後厄は20歳。
この歳の女性にはぜひ初詣のお参りをお薦めします。
通常は16時閉門ですが大晦日は終日開いています。

■住所
渋谷区代々木神園町1-1
■交通
JR「原宿」「代々木」駅
小田急線「参宮橋」駅
東京メトロ「明治神宮前」「北参道」駅
都営地下鉄「代々木」駅

★東京という街

若い頃より国内はもとより海外もいろんな国・街を旅してきました。
そこで知り合った奴らは、年齢を重ねてから必ずといっていいほど「東京」という街を訪れます。
そこで聴くのは100%の人々が・・・
「東京という街はとても素晴らしい、世界で一番エキサイティングだ。」
・・・という意見です。
確かに言われてみれば納得できます。
治安が良く、世界中の人々と交流でき、24時間眠らず、なんでも手に入る。
車やバイクをはじめ、世界中の商品が手に入り、水はタダ同然。
清潔で病気も少なく、人々は親切で、事故があっても夜中でも治療してくれる。
電話一本で警察や救急は駆けつけ、ガス漏れや水道管の破裂も対応してくれる。
そして何より、飯が美味い。
世界的に見てとてもクオリティーの高い食べ物が数百円で食べる事ができる。
世界中の食は全て都内で食べる事ができるし、世界中の余興さえどこかで参加する事ができる。
ロシアのバレエが観たくても、スペインのフラメンコが観たくても、ブラジルのサンバが観たくても、ヨーロッパのクラシックが聴きたくても、アメリカのハードロックが聴きたくても、すぐに探すことができる。
世界中の芸術は集まっているし、会いたい芸能人の居所だって、ちょっと頭を捻れば探すこともできる。
こんな街に海外から刺激を求めにやってくる人々。
こいつらには数日という時間しかないが、東京で暮らし始めた君たちは期間限定であろうと、じっくり楽しむことができる。
さぁ、今日から東京を離れるその日まで、眠っている暇はないぜ。