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東京での一人暮らしを始める若者たちに・・・

5月17〜19日 - 浅草神社の「三社祭」


今日、お休みの人は「三社祭」に出かけてみましょう。
漁師の桧前浜成・竹成兄弟が隅田川で漁労に精を出していましたが、その日に限り一匹の漁もなく網にかかるのはただ人型の像だけでした。
幾度か像を水中に投げ捨て、何度場所を変えて網を打ってもかかるのは不思議と人型の像だけなので、最後には兄弟も不思議に思ってその尊像を捧持して今の駒形から上陸し、槐の切り株に安置しました。
そして当時、郷土の文化人であった土師真中知にこの日の出来事を語り一見を請うたところ、土師氏は、これぞ聖観世音菩薩の尊像にして自らも帰依の念心仏体であることを兄弟に告げ、諄々と功徳、お働きにつき説明しました。
兄弟は初めて聞く観音の現世利益仏であることを知り、信心をもよおされた二人は深く観音を念じ名号を唱え、「我らは漁師なれば、漁労なくしてはその日の生活にも困る者ゆえ、明日はよろしく大漁を得させしめ給え。」と厚く祈念しました。
翌日に再び網を浦々に打てば、願いのごとく大漁を得ることができました。
土師真中知は間もなく剃髪して僧となり、自宅を改めて寺となし、さきの観音像を奉安して供養護持のかたわら郷民の教化に生涯を捧げたといいます。
いわゆるこれが浅草寺の起源です。
土師真中知の没した後、間もなくその嫡子が観世音の夢告を受け、三社権現と称し上記三人を神として祀ったのが三社権現社、今の浅草神社の始まりであるとされています。
これによると創建は今を去る千三百五十年程の昔ということになりますが、これは少々無理のようで、平安の末期から鎌倉にかけて権現思想が流行しだした以後、三氏の末裔が崇祖のあまり浅草発展の功労に寄与した郷土神として祀ったものであろうと推定されます。
奇しくも明治維新の神仏分離令により浅草寺との袂を分かち、明治元年に三社明神社と改められ、同6年に現在の名称に至ります。
今もなお、「三社さま」として親しまれている浅草神社ですが、元来三人の神様をお祀りしたことからそのように呼ばれています。
ここで5月の第3日曜を最終とする3日間行われるのが三社祭です。
浅草神社例大祭のことで、東京を代表する祭りのひとつ。
昔は3月17・18日の両日に行われ、丑、卯、巳、未、酉、亥の1年おきに本祭が行われました。
正和元年から三社の神話に基づき船祭が始められたといわれています。
期間中には約200万人の人が浅草を訪れます。
江戸時代には大祭前夜、神輿を観音本堂の外陣に安置されました。

■住所
台東区浅草2-3-1
■交通
東京メトロ「浅草」駅
都営地下鉄「浅草」駅
東武線「浅草」駅
つくばエクスプレス「浅草」駅