12月22日〜2月3日 - 穴八幡宮の「一陽来復御守頒布」 12月22日〜2月3日 今日、お休みの人は「一陽来復御守頒布」に出かけてみましょう。康平5年に源義家が氏神八幡宮を勧請したことにはじまり、寛永13年には幕府の御持弓組頭松平直次がこの地に的場を築き射芸の守護神として八幡宮をお祀りしました。のちに宮守の庵を造るために南側の山裾を切り開いたところ神穴が出現し、穴八幡宮と呼ばれるようになりました。江戸時代から続く「一陽来復御守」は金銀融通の御守として現在でも広く崇敬を集めており、毎年「冬至」から「節分」までの期間のみ頒布されています。■住所新宿区西早稲田2-1-11■交通東京メトロ「早稲田」駅
12月22日〜2月3日 - 放生寺の「一陽来福授与」 12月22日〜2月3日 今日、お休みの人は「一陽来福授与」に出かけてみましょう。放生寺は寛永十八年、威盛院権大僧都良昌上人が高田八幡・穴八幡の造営に尽力され、その別当寺として開創されたお寺です。ご本尊の聖観世音菩薩は南海の補陀楽浄土におられる菩薩様で、そのお名前の示すとおり世の人々の声を聞き、その苦しみや悩みを救い悪事災難を除くことを御誓願とされている慈悲深い仏様で御座います。観音経に由ると我々が災難に遭ったとき観音様を一心に念ずると自由自在にお姿を変えてお救い下さることから観自在菩薩とも云います。そのお姿が三十三身あるとされ観音霊場が三十三の札所となった起こりともなっております。放生寺のご本尊は古くより融通虫封じ観世音として称され親しまれて参りました。融通とは滞り無く通じることを意味します。冬至より授与いたしております「一陽来福」も「ゆうずうさん」と呼ばれ多くの方に親しまれております。虫封じは起源は定かではありませんが江戸の時代より夜泣きや疳の虫の祈祷霊験あらたかな寺として多数の老若男女の参詣があり今日にいたって居ります。當山で毎年多数の信徒に授与して居ります一陽来福のお札は、江戸天保年間より當山に伝わる秘法を厳修し一部の信徒に授与したのが始まりです。その後時代の変遷により今日の様に多数の信徒に授与するようになりました。そもそも、一陽来福は冬至を表す言葉「一陽来復」=「陰極まって一陽が生ずる」という言葉に「来る」年も授与された方たち全てに沢山の「福」が来る様に、當山ご本尊を拝むときに唱えます。観音経の結びの「福聚海無量」=「福聚むること海の如く無量なり」という偈文より「福」の字を取り「一陽来福」と名付けられました。當山本尊は古来より融通・虫封観世音と呼ばれ多数の信徒を集め現在に至っております。中でも融通は滞りなく通じるということでご商売をされている方は基より、近年では人間関係を願う方も多く居られます。一家の居間若しくは、ご商売先の部屋に毎年定められた恵方に向けて冬至、大晦日、節分の何れかの深夜0時にお札を貼ります。■住所新宿区西早稲田2-1-14■交通東京メトロ「早稲田」駅